兵庫の伝染病の流行と公衆衛生の普及
世界に開かれた神戸港がある兵庫県は、何度も伝染病の流行がありました。
最初の大流行は、明治10(1877)年に西南戦争帰還兵によって持ち込まれたコレラでした。
その度に公衆衛生対策が進みました。
明治23(1890)年にもコレラが大流行しました。
今から130年前になります。
兵庫県では3100人余りが犠牲となりました。
これをきっかけに伝染病予防の衛生に対する考え方の普及や、
万が一の時に住民同士が助け合うことができる「衛生組合」が作られました。
この組合は、今の自治区よりも狭い隣保や班単位で組織されました。
日常的に顔を合わせる範囲で、相互の啓発やいざというときの病気に対する速やかな対応を考えられました。
組合のきまりごとには、
日常の衛生管理として下水回りの念入りな清掃や、
菌を増やすと考えられたイカ・タコ・アワビ・エビなどの飲食の注意、
伝染病が発生した時の集団での飲食の禁止。
病気が疑われる人の報告義務。
加持祈祷などの民間療法に頼らず、速やかに医師の診断を受けることや、
生活困窮者の診療費に対する共助の仕組みなどが決められました。
今までの経験が、コロナウィルスの対応にも役だっているんだと分かりました。
伝染病の玄関口になりがちだった神戸市では、明治23年のパンデミックをきっかけに上下水道が整備されました。
急速な人口増加で、すぐに設備の拡張が必要となり、
その対応として計画されたのが、
羽束川と波豆川を水源とす千苅水源地を作ることでした。
しかしすぐに給水能力は限界になり、ダムのかさ上げが行われましたが、
よりいい解決作として計画されたのが青野川・黒川合流地点でのダム建設でした。
これが今の青野ダムになります。
近代のパンデミックは、その度に衛生に対する考え方の普及や、都市基盤の設備にも影響を与えました。
今度の新型肺炎でも、たくさんの人たちがパンデミックの歴史や、防衛の方法に興味を持ち、これからの生活に役立てていきたいものです。
そして早く安心して、生活できるようになりたいものです。